素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2680年9月23日

今日は、支那国民党と支那共産党の間で「第二次国共合作」が成立した日だ。

昭和12年(1937年)9月23日のことである。

 

歴史に"もし"はないが、この第二次国共合作がなかったら、現在の中華人民共和国はない。

支那共産党も消滅していただろう。

 

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毛沢東(左)と蔣介石(右)、出典:Wikipedia

 

当時の支那大陸は、支那国民党と支那共産党による内戦状態だった。

戦局は国民党に有利で、共産党は壊滅寸前にまで追い込まれていた。国民党の方が圧倒的に強大な戦力を持っていた。

 

昭和12年(1937年)7月7日、盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)が発生し、中華民国(国民党)と日本は戦争状態に衝突する。

すると、共産党は内戦をやめ協力して日本に対抗するよう、国民党に迫った。

9月22日、共産党は「国共合作に関する宣言」を発表。

翌23日、国民党の蔣介石が「国共両党の第二次合作に関する談話」を発表し、「第二次国共合作」が成立した。

 

日本との戦争が始まっても、戦ったのは国民党で、共産党は戦わず戦力を温存していた。

国民党は疲弊し、この間に共産党は戦力を増強していった。

昭和20年(1945年)8月に日本との戦争が終わったときには、国民党と共産党の戦力は拮抗していた。

日本との戦争が終わると、国民党と共産党は再び内戦を始める。これに共産党が勝利し、昭和24年(1949年)10月1日に中華人民共和国を建国する。

 

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支那国民党と日本が軍事衝突する発端となった盧溝橋事件は、支那共産党により引き起こされたものだと言われている。

第二次国共合作...支那共産党にとっては命拾いした出来事であり、日本にとっては、いや世界にとっては最悪の出来事である。

 

共産主義者の「仲良くしよう」ほど、信用できないものはない。