今日は、支那国民党と支那共産党の間で「第二次国共合作」が成立した日だ。
昭和12年(1937年)9月23日のことである。
歴史に"もし"はないが、この第二次国共合作がなかったら、現在の中華人民共和国はない。
当時の支那大陸は、支那国民党と支那共産党による内戦状態だった。
戦局は国民党に有利で、共産党は壊滅寸前にまで追い込まれていた。国民党の方が圧倒的に強大な戦力を持っていた。
昭和12年(1937年)7月7日、盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)が発生し、中華民国(国民党)と日本は戦争状態に衝突する。
すると、共産党は内戦をやめ協力して日本に対抗するよう、国民党に迫った。
翌23日、国民党の蔣介石が「国共両党の第二次合作に関する談話」を発表し、「第二次国共合作」が成立した。
日本との戦争が始まっても、戦ったのは国民党で、共産党は戦わず戦力を温存していた。
国民党は疲弊し、この間に共産党は戦力を増強していった。
昭和20年(1945年)8月に日本との戦争が終わったときには、国民党と共産党の戦力は拮抗していた。
日本との戦争が終わると、国民党と共産党は再び内戦を始める。これに共産党が勝利し、昭和24年(1949年)10月1日に中華人民共和国を建国する。
支那国民党と日本が軍事衝突する発端となった盧溝橋事件は、支那共産党により引き起こされたものだと言われている。
第二次国共合作...支那共産党にとっては命拾いした出来事であり、日本にとっては、いや世界にとっては最悪の出来事である。
共産主義者の「仲良くしよう」ほど、信用できないものはない。