今日は「ダッカ日航機ハイジャック事件」が起きた日だ。
昭和52年(1977年)9月28日、日本赤軍が起こした航空機強取(ハイジャック)事件。
昭和46年(1971年)に重信房子(しげのぶ ふさこ)や奥平剛士(おくだいら つよし)らにより結成された。平成13年(2001年)に解散を宣言した。
海外では最も有名な日本のテロ組織。テルアビブ空港乱射事件やクアラルンプール事件などのテロ事件を起こした。
ハイジャックされた日本航空472便、出典:Wikipedia
昭和52年9月28日、パリ発東京行きの日本航空472便がインドのボンベイ(現:ムンバイ)を離陸後、日本赤軍の丸岡修ら5人にハイジャックされた。
乗員14人、乗客137人が人質となった。
472便はバングラデシュの首都ダッカのジア国際空港に、強行着陸させられた。
犯行メンバーは日本政府に対し、人質の身代金として600万ドル(約16億円)を要求。更に、日本で服役または勾留中の過激派活動家 9人の釈放と、日本赤軍への参加を要求した。
拒否または回答が無い場合には、人質を順次殺害すると警告した。米国人から殺害するとし、その中にはジミー・カーター米大統領の友人も含まれていた。
日本政府は決断を迫られた。
10月1日、福田赳夫総理は「一人の生命は地球より重い」と述べ、身代金支払いと、超法規的措置による収監者の釈放を決定。
犯行メンバーが釈放を要求した9人のうち、6人は日本赤軍に参加を決め、3人は拒否した。
釈放された収監者6人は同日、身代金600万ドルおよび食料6トンと共に、犯行メンバーと合流した。
以降、人質は順次解放されていった。
10月3日、472便はクウェートとシリアを経由してアルジェリアに入国。ここで人質は全員解放された。
犯行メンバーはアルジェリア当局に投降した。当時のアルジェリアは、西側諸国からテロリスト扱いされた左翼過激派組織のメンバーを受け入れていた。
なお、バングラデシュではこの事件の隙をつき、軍事クーデターが発生。政府軍の士官11人が死亡した。
北朝鮮が日本人拉致を始めたのは、この事件がキッカケだとも言われている。
一方、日本のマスコミの多くは、日本政府の対応を称賛していた。