今日は、日本と中華人民共和国が国交を開始した日だ。
昭和47年(1972年)9月29日に「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」が調印され、両国の国交は始まった。
昭和47年(1972年)7月7日、田中角栄が内閣総理大臣に就任した。彼は支那との国交開始に非常に積極的で、総理就任演説でもその考えを述べていた。
7月9日、支那の首相だった周恩来(しゅう・おんらい)は歓迎の意向を表明した。
両国の国交開始が現実味を帯びてくる。
同年9月25日、田中総理は中華人民共和国を訪問した。
夜の晩餐会で、周首相は「双方が努力し、十分に話し合い、小異を残して大同を求めることで国交正常化は必ず実現できるものと確信します」と挨拶した。一方、田中総理は「過去に中国国民に多大なご迷惑をおかけしたことを深く反省します」と挨拶した。
26、27日両日には、双方、激しいやり取りがあった。
28日、日本側は台湾(中華民国)の関係について、「共同声明発表の翌日に終了するが、民間貿易などの関係は継続される」旨の発言をした。周首相はこれを黙認した。
29日、「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」が田中総理や周首相らにより署名され、日本と支那の国交が開始された。
- 声明発出日より両国間の国交開始
- 日本国政府は、中華人民共和国政府(共産党政権)が支那大陸おける唯一の合法政府であることを承認する
- 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土であることを表明。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重する
- 中華人民共和国政府は、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する
- 両政府は全ての紛争を平和的手段により解決し、武力または武力による威嚇に訴えない
帰国した田中総理らを、日本のマスコミは英雄扱いした。
彼らは支那との国交開始を「戦後、日本に残された大きな課題」とし、推進していた。
筆者は、支那との国交開始がそこまで大切だったとは思えない。
まず、友好国である台湾を裏切っている。
日本国内においても、支那人の増加や、支那資本による北海道の土地買収など、新たな問題が発生している。
ただ、経済という点に関しては、大きなメリットがあった。
田中角栄総理の決断は正しかったのか、それとも、間違いだったのか。
皆さんはどう思う?