11月3日は 明治節 だ。
明治天皇のお誕生日である。
明治6年(1873年)10月14日、太政官布告「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」が公布・施行され、明治天皇の誕生日である11月3日は『天長節』となった。
天長節とは、現在の天皇誕生日にあたる祝日である。昭和23年(1948年)まであった。
明治45年/大正元年(1912年)7月30日、明治天皇が崩御し、大正天皇が即位した。
同年9月4日、勅令「休日ニ関スル件」が公布・施行され、11月3日は普通の日になった。代わりに、大正天皇の誕生日である8月31日が天長節となった。
大正15年/昭和元年(1926年)12月25日、大正天皇が崩御し、昭和天皇が即位した。
当時の法律では、明治天皇の崩御日は『明治天皇祭』という祭日(先帝祭)だった。しかし、今度は大正天皇の崩御日が新たに『大正天皇祭』として祭日となり、明治天皇祭は無くなる。
明治天皇の記念日は祝祭日から消えてしまう...
明治天皇の偉業を永遠に伝えていくため「11月3日を祝日にしよう」という運動が国中で起きた。
昭和2年(1927年)1月25日、帝国議会両院は各々満場一致をもって明治節制定の建議案を可決した。
国民は明治節が永遠に続くと思っていた。
昭和20年(1945年)、日本は大東亜戦争に敗北する。そして、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領政策が始まる。
この占領政策のひとつが、日本の祝祭日の廃止・改称である。
昭和23年(1948年)7月20日、国民の祝日に関する法律が公布・施行され、明治節は廃止となった。そして、11月3日は『文化の日』となった。
これは吉田茂内閣が新憲法の公布日を11月3日にしたからである。これを根拠に11月3日を文化の日としている。明治天皇の誕生日を祝日として残すための苦肉の策であった。一部の戦勝国から反発があったが、GHQは黙認した。
「国民の祝日に関する法律」の施行に伴い廃止・改称された祝祭日
廃止となった祝祭日
・元始祭(1月3日)
・新年宴会(1月5日)
・紀元節(2月11日、昭和42年に「建国記念の日」として復活)
・神武天皇祭(4月3日)
・神嘗祭(10月17日)
・大正天皇祭(先帝祭。12月25日)改称された祝祭日
・春季皇霊祭(春分日)→春分の日
・天長節(4月29日)→天皇誕生日(昭和天皇の誕生日)
・秋季皇霊祭(秋分日)→秋分の日
・明治節(11月3日)→文化の日
・新嘗祭(11月23日)→勤労感謝の日
筆者はこの事実を一人でも多くの国民に伝えたい。そして、昭和初期に明治節をつくった時のような国民運動を再び起こしたい。
日本を取り戻すとは、こういう事である。