今日は「ウーンデッド・ニーの虐殺」が起きた日だ。
1890年12月29日、米国サウスダコタ州ウーンデッド・ニーで、米軍の第7騎兵連隊がインディアン「スー族」を大量虐殺した。
殺害されたスー族は大半が女子供だった。
死者数については、スー族側は約300人、第7騎兵連隊側は150人~200人程度としている。
殺害後に放置された「スー族」の遺体、出典:米国議会図書館
インディアンとは、アメリカ大陸の先住民のうち、メキシコ以北の諸民族のことである。
1610年代、 英国からアメリカ大陸への入植(移民)が始まった。
しばらくすると、植民地の白人たちはインディアン部族間の争いを利用し、代理戦争を行わせるようになった。
その後も、白人たちは様々な手を使い、インディアンの住処を奪っていった。
インディアンは約1,000万人ほどいたが、虐殺や同化政策などにより「約95%が消滅した」というのが定説。
その最後といえるのが「ウーンデッド・ニーの虐殺」である。
虐殺された「スー族」の遺体、出典:米国国立公文書記録管理局
1890年11月、米国政府は「スー族」に反乱の予兆があるとし、彼らの保留地に数1,000人規模の軍隊を派遣した。
12月14日、抵抗を続けたスー族を率いていたシッティング・ブルを、インディアンからなる警官隊に襲撃させて殺害した。
スー族は長年に渡り米国政府と戦ってきたが、これでその戦いは終わった。
12月28日、スー族400人弱の集団が白旗を掲げて降伏した。この集団の戦士は100人ほどで、残りは年寄りや女子供だった。
第7騎兵連隊は集団をウーンデッド・ニー河畔まで連行した。
翌29日、第7騎兵連隊はスー族の集団を武装解除させようとした。
一人のインディアンがこれを拒否。揉み合っている時、銃が誤射され白人士官を射殺してしまったという。これを機に、第7騎兵連隊の虐殺が始まった。
女子供も含め多くのスー族が虐殺された。スー族側の死者は300人弱というのが定説。
第7騎兵連隊側は25人の死者と39人の負傷者を出したが、その大半は味方の銃弾や榴散弾によるものだった。
米国人は友好的な性格な人が多いといわれている。筆者もそう思う。
ただ、米国はインディアンを民族浄化することにより作られた国である。この歴史的事実を忘れてはいけない。