26年前の今日は、平成7年兵庫県南部地震の発生に伴い阪神・淡路大震災が起きた日だ。
その後の「災害関連死」も含めて6434人が亡くなった。
平成7年兵庫県南部地震(本震)
阪神・淡路大震災発生時の国道43号線神戸市灘区岩屋交差点周辺、出典:阪神・淡路大震災「1.17の記録」
阪神・淡路大震災は、大東亜戦争後に発生した国内の地震災害としては、平成23年に発生した東日本大震災に次ぐ被害規模だった。
兵庫県および消防庁がまとめた、被害は以下のとおり。9割超が兵庫県だった。
阪神・淡路大震災の被害
- 死者:6,434人
- 行方不明:3人
- 負傷者:43,792人
- 住家被害:全壊104,906棟、半壊144,274棟
- 火災被害:全焼7,036棟、焼損棟数7,574棟、罹災世帯8,969世帯
- その他被害:道路7,245箇所、橋梁330箇所、河川774箇所、崖崩れ347箇所
- 被害総額:約10兆円規
NHKが死体検案書を分析した結果、地震当日の死者が5036人、地震発生から1時間以内の死亡は3842人。
死者の9割ほどは圧死とされている。
木造家屋の倒壊により、下敷きになって亡くなった人が多かった。特に、1階で就寝中だった人。一方、2階にいた人で亡くなった人は少なかった。
阪神・淡路大震災発生時の総理大臣は村山富市氏だった。村山氏の震災当日の対応は、時系列で以下のとおり。
- 05時46分:地震発生
- 08時30分:官邸入り
- 08時45分:総理大臣談話発表。「被害状況の把握に全力を挙げ、万全の対策を講じる」という内容
- 09時20分:官邸では日程通り月例経済閣僚会議
- 10時00分:「非常災害対策本部」の設置を決定
- 10時以降:自衛隊が出動
地震発生3日から後の衆議院本会議で、新進党の二階俊博議員(現:自民党幹事長)は、村山氏の危機管理の無さを指摘した。
村山氏は「何分初めての経験でもございますし、早朝の出来事でもございますから、幾多の混乱があったと思われます」と述べた。
村山氏は日本社会党の議員。
日本社会党は社会民主党(社民党)の前身の政党。社民党よりの左派的な政策をあげていた。自衛隊違憲、日米安保破棄、原発反対など。
村山氏は総理就任直後の国会演説で、党の了承を得ず、自衛隊違憲などの党の政策を否定した(後の党大会で追認)。
災害対応が遅れたのは、村山氏だけの責任ではない。
兵庫県の貝原俊民知事(当時)も震災発生後、災害派遣要請をすぐに行わなかった。同知事は自衛隊に否定的な知事だった。
更に、兵庫県庁も情報収集の正確さを欠いていた。
当時の自衛隊は今以上に縛られており、災害が発生しても動けない状態だった。「自衛隊があると戦争になる」と考えている人も多かった。
自衛隊が災害対応をできるようなったのは、阪神・淡路大震災があったからである。
阪神・淡路大震災で犠牲となられた方々のご冥福をお祈りします。