素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2681年1月20日

今日はフランクリン・ルーズベルトが、米国大統領として初の3期目を開始した日だ。

歴史に”もし”はないが、この時の米国大統領がルーズベルトではなかったら、日本と米国が戦争することはなかっただろう。

 

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フランクリン・ルーズベルト、出典:flickr

 

1933年3月4日、ルーズベルトは米国大統領となった。そして、2期(8年)務めた。

米国大統領は2選までというのが慣例だったが、ルーズベルトは有事を理由に1940年と1944年の大統領選に立候補し、当選した。後に米国は改憲し、大統領は2期までと正式に定められた。

ルーズベルトは唯一、3期目と4期目を務めた米国大統領である。そして、唯一、重度の身体障害(両足が不自由)を持った米国大統領だった。

 

1941年1月20日ルーズベルトは米国大統領として初の3期目を開始した。

ルーズベルトは大統領選の公約に、戦争には参加しないことをあげていた。しかし、彼は真逆のことをやった。

 

1941年7月25日、米国は同国内の日本資産を凍結した。

8月1日、米国は日本などに対し石油の輸出を禁止した。日本は石油の約8割を米国から輸入しており、貯蓄分は平時で3年弱、戦時で1年半という状況だった。

11月26日、米国は日本に「ハル・ノート」を提示する。内容は、支那大陸やフランス領インドシナからの即時無条件完全撤退、日独伊三国同盟の無効化など。

 

日本は対米開戦を避けるため、譲歩に譲歩を重ねていたが、ルーズベルトは日本を追い込んでいった。

ルーズベルトは、当時行われていたヨーロッパ戦線(第二次世界大戦)に英国の味方として参戦したかった。その口実として、ドイツと同盟関係にある日本に圧力をかけ、日本から攻撃をするように仕掛けた。

 

1941年12月8日、日本は米国に対し宣戦布告する。餓死するか、奴隷になるか、戦うかまで追い込まれての苦渋の決断だった。

 

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日本への宣戦布告を行うルーズベルト米国大統領、出典:米国国立公文書館

 

ルーズベルトは差別主義者である。

彼は「日本人の頭蓋骨は白人より約2000年、発達が遅れている」と本気で信じていた。

英国公使のロナルド・キャンベルに、「日本人が敗北した後は、他の人種との結婚をあらゆる手段を用いて奨励すべきである」などと語っている。つまり、日本人を民族浄化しようと考えていた。

 

1941年12月、ルーズベルト日系人の強制収容を命令した。翌1942~1946年にかけ、多くの日系人が財産を没収され、強制収容所へ入れられた。

1942年10月、ルーズベルト核兵器開発プロジェクト「マンハッタン計画」を承認した。これにより原子爆弾が作られ、広島と長崎に投下された。

1944年6月、ルーズベルト日本兵の腕の骨から作られた「レターオープナー」を贈呈されたことが明らかとなる。ルーズベルトは、隠すことも、恥じることもなかった。

 

ルーズベルトは日本人を差別していたが、支那人に対しては友好的だった。

日本軍に敗北を続ける支那国民党の蒋介石には、多大な支援を続けた。支那国民党(中華民国)が日本に敗北しなかったのは、これが大きい。

ルーズベルトは、支那中華民国)による台湾や沖縄の領有も主張していた。蔣介石は沖縄領有は断った。

また、支那中華民国)を常任理事国にしようともしていた。

 

ルーズベルトは、日本にとって最悪の米国大統領だった。