戦前、2月11日は
『日本書記』には、神武天皇の即位について以下のようにある。
引用:『日本書紀』卷第三、神武紀
「辛酉年春正月」というのが、神武天皇の即位日である。
これを西暦(グレゴリオ暦)にすると、紀元前660年2月11日となる。
『神武天皇東征之図』の八咫烏に導かれる神武天皇、原典:Artelino
明治6年(1873年)10月14日、政府は太政官布告(明治初期の法令の形式)により、2月11日を「紀元節」とし祝日とした。
その後70年以上、2月11日は祝日「紀元節」だった。
昭和23年(1948年)7月20日、「国民の祝日に関する法律」が施行され、紀元節は廃止となってしまった。
これは連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の意向である。
昭和27年(1952年)4月28日、日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効され、停止状態にあった日本の主権が回復する。この頃から、保守議員による紀元節復活の動きが始まる。
昭和32年(1957年)2月13日、自民党の衆議院議員らにより「建国記念日」制定に関する法案が提出される。しかし、野党第1党の日本社会党などの反対により、廃案となってしまう。
その後も自民党議員は計9回、同様の法案を提出するが全て廃案とされてしまう。
結局、「建国記念日」から名称に「の」を挿入した「建国記念の日」とすることにより、日本社会党が妥協した。
昭和41年(1966年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案が成立する。同改正法では「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定められた。
中央調査社が昭和41年9月29日~10月6日、全国の20歳以上の男女1万人を対象に、建国記念日をいつにすべきかを調査した。
2月11日と答えた人は47.4%だった。
日本は世界最古の国である。
筆者は「年に1回くらいは、建国について考える日があっても良いのでは?」と思う。
そして、「戦争に勝った国は、自分たちのワガママを押し付けることができる」という歴史的事実も、覚えておくべきである。