素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2681年3月3日

3月3日は雛祭り(ひなまつり)だ。

女子の健やかな成長を祈る、古くからあった日本の年中行事である。

 

雛祭りの起源は諸説あるが、以下の遊びと風習が結びついたとする説が有力である。

平安時代の京都で、貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていたという記録がある。雛祭りが「ひなあそび」とも呼ばれるのはこのためだという。

同じく平安時代、川へ紙で作った人形を流す「流し雛」の風習があった。女子に降りかかる災いを、人形にうつして避けたという。

 

江戸時代初期頃から、雛人形が飾られるようになった。人形は川に流すのではなく、鑑賞するためのものとなった。

雛人形は雛祭りが終わったら、すぐに片付けないとならない」と言われるのは、かつての風習「流し雛」の名残とみられる。

 

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雛飾り(関東風の並べ方)、出典:Flickr

 

雛人形の主な種類は以下のとおりである。

 

一段目は内裏雛(だいりびな)。男雛と女雛で対となっており、天皇と皇后を模したものとされる。関東風では、向かって左が男雛、右が女雛。京都風では逆となる。

二段目は官女(かんじょ)。宮中に仕える女性の官僚。

三段目は五人囃子(ごにんばやし)。能のお囃子(おはやし)を奏でる楽人。元服前の少年。

四段目は随身(ずいじん)。向かって右が左大臣で年配者、左が右大臣で若者。

五段目は仕丁(しちょう)。雑役夫である。怒り、泣き、笑いの表情から「三人上戸(じょうご)」とも言う。

 

雛人形には、日本の特徴が詰まっているとも言える。

以前の日本では、天皇のいる位置は「左」だった。しかし、世界と合わせるため、明治時代に「右」に変わった。内裏雛はこれに合わせる地域と、以前のまま並べている地域にわかれた。

五人囃子は5人ではなく、7人の場合もある。能楽人ではなく、雅楽(ががく)の楽人の場合も多い。

上記で紹介した以外の種類も多く存在し、三歌人柿本人麻呂小野小町菅原道真)や三賢女(紫式部清少納言小野小町)などもある。

ただし、「4人で一組」となっているものはない。

 

近年、男女平等ということで、性別による違いを無くす試みがなされている。

しかし、性別による違いがあった方が良い場合もある。

雛祭りがそのいい例だ。