かけがえのない多くの命が失われたこの震災から、今日で10年の歳月が経ちました。
御親族を失われた御遺族の方々に、心より哀悼の意を捧げます。
また、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。
宮城県仙台市宮城野区沿岸(平成23年3月12日)、出典:米国海軍
平成23年(2011年)3月11日午後2時46分頃、宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする「東北地方太平洋沖地震」が発生した。
地震の大きさ(エネルギー量)を表すマグニチュードは9.0(米国地質調査所は9.1)。国内観測史上最大で、人類観測史上4番目の大きさだった。
宮城県栗原市では、国内観測史上3回目となる震度7を観測。宮城県、福島県、茨城県、栃木県の4県で震度6強を観測した。
気象庁によると、福島県相馬で9.3m 以上、岩手県宮古で8.5m 以上、大船渡で8.0m以上、宮城県石巻市鮎川で7.6m以上の津波が観測された。
港湾空港技術研究所によると、宮城県女川漁港では14.8mの津波痕跡が確認されたという。
全国津波合同調査グループによると、遡上高(陸地の斜面を駆け上がった津波の高さ)は最大で40.5m。国内では史上最大。
地震から約1時間後、東京電力福島第一原子力発電所を遡上高14~15mの津波が襲った。
1~4号機で炉心溶融(メルトダウン)や建屋爆発事故などが連続して発生。5・6号機は点検中であったため、比較的被害は少なかった。
同発電所にある6基の原子炉(全て沸騰水型軽水炉)は廃炉になることが決定した。
警視庁によると、令和3年(2021年)3月10日現在、死者は1万5900人、行方不明者は2525人。
復興庁などによると、避難生活による体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は令和3年3月9日までで、少なくとも3775人。
大東亜戦争終結以降、国内で起きた自然災害で死者・行方不明者の合計が1万人を超えたのは、東日本大震災のみ。
福島県相馬郡新地町にある新地駅(平成23年4月4日)、出典:Wikipedia
筆者が仕事で訪れる工場に、震災の翌年に福島県から引っ越してきた人がいる。
この人と何度か話をしたのだが、「いつもどおりの生活ができることが幸せ」と言っていた。あと「まさか、こんな大災害が起きるとは思わなかった」とも。
深い言葉だと思った。
そして、自然の前では人間は無力だ。