素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2681年3月16日

今日は脱亜論が掲載された日だ。

明治18年(1885年)年3月16日、新聞、時事新報(じじしんぽう)の1面に『脱亜論』と題する社説が掲載された。

1面に掲載しているが、特別なことがあった訳ではない。当時の新聞は社説を1面に掲載していた。

脱亜論は無署名だったが、福澤諭吉が執筆したとされる。

 

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福沢諭吉明治24年(1891年)頃の肖像、福沢研究センター提供

 

脱亜論は約2,000字ほど。明治時代の文章なので、現代文とは異なる。

概要は以下のとおりである。

  • 国家独立のためには科学技術を受け入れるしかない。不利益も含めて。
  • 日本の近代化は他のアジア諸国に先駆けており、まさに「脱アジア」だった。
  • 日本の不幸は、隣国に支那・朝鮮があること
  • 支那人朝鮮人は、日本人とは全く違う
  • 日本は支那・朝鮮と関係を断ち、西洋の先進国と歩むべきだ
  • 隣国というだけで、支那・朝鮮に特別な感情を持ってはいけない

 

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脱亜論が掲載された当時、大きな反響はなかった。注目され始めたのは昭和40年代頃からである。

昭和58年(1983年)、山川出版社の高校日本史教科書に取り上げられたのを機に、一気に知名度が上がった。

 

左翼教師やマスコミは、脱亜論を酷評する。

しかし、筆者は本質を見抜いていると思う。最近書かれた文章のようである。

福沢諭吉が一万円札の肖像となっているのも納得できる。