今日は昭和の日だ。
昭和天皇のお誕生日だ。
昭和天皇(大正14年11月に撮影)、原典:Wikipedia
昭和天皇は明治34年(1901年)4月29日、大正天皇の第1皇男子として、東京・青山の東宮御所でご誕生になられた。御名を裕仁(ひろひと)、ご称号をみちの宮(みちのみや)と称された。
明治45年(1912年)7月30日、明治天皇の崩御により皇太子となられた。
大正10年(1921年)11月25日からは、大正天皇のご病気のため摂政に就任。大正天皇に代わり職務を行った。
大正13年(1924年)1月26日、久邇宮邦彦(くにのみや くによし)王の第1女子良子(ながこ)女王とご結婚。
大正15年(1926年)12月25日、大正天皇の崩御により、第124代の天皇となられた。25歳という若さだった。
昭和3年(1928年)11月には、京都において即位の礼と大嘗祭のご大礼が執り行われた。
昭和天皇が発見した新種のヒドラ虫(刺胞動物門ヒドロ虫綱の動物の総称)は30種を超える。
昭和天皇の著書は9冊。学者とご一緒にご研究の結果をおまとめになったものが6冊。昭和天皇がご採集の資料を基に学者がとりまとめたものが15冊。
昭和64年(1989年)1月7日、昭和天皇は崩御なされた。昭和天皇と追号された。
昭和天皇は激動の時代を生きた君主だった。
昭和天皇の逸話は多いが、筆者は「マッカーサーとの会見」が最初に思い浮かぶ。
昭和20年(1945年)9月27日、昭和天皇はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のトップ、マッカーサーが居住していた駐日米国大使館を初めて訪れた。
この時、日本は大東亜戦争に敗れ、 昭和天皇は処刑されるかもしれない状態だった。マッカーサーは命乞いにきたものだとばかり思っていた。
敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい。
引用:侍従長の回想(著者:藤田尚徳)
マッカーサーはひどく驚いた。自らの命と引き換えに国民を救う君主など、今まで見たことがなかったからだ。
これを機にマッカーサーの態度は一変し、昭和天皇に敬意をもって接するようになった。
この話を聞いた時、筆者は日本人であることに誇りを感じた。
そして、この話を一人でも多くの国民に知ってもらいたい。