今日はオウム真理教元教祖、麻原彰晃(あさはら しょうこう)が逮捕された日だ。麻原の本名は「松本智津夫(まつもと ちづお)」という。
平成7年(1995年)5月16日、麻原は殺人などの容疑で、山梨県上九一色村のオウム真理教の施設内で逮捕された。
オウム真理教とは、麻原が教祖・創始者として設立した宗教団体。テロ組織。麻原の指示の下、数々の凶悪事件を起こした。
平成7年(1995年)の地下鉄サリン事件では、猛毒の化学兵器サリンを使用し、14人が殺害し、6,000人超を負傷させた。
オウム真理教は平成12年(2000年)に解散となったが、「Aleph(アレフ)」や「山田らの集団」等の後継団体が現在も存在している。
麻原は昭和30年(1955年)3月2日、熊本県八代市で「松本畳店」を経営する畳職人の家庭の、9人兄弟の7番目として生まれた。
天性緑内障のため生まれつき、左目はほとんど見えなかった。右目は正常。
6歳になると小学校に入学するが、直ぐに熊本県立盲学校に転校となる。全寮制。
麻原は20歳までここで過ごしたが、彼の両親が訪ねてくることはなかった。
盲学校時代の麻原は、他の目の見えない子供たちを子分扱いしていた。暴力を振るったり、恐喝をしたり、窃盗を命じたり。麻原は卒業までに、恐喝により300万円ほどを貯めたという。
盲学校を卒業すると、東京大学合格を目指して東京の予備校に通うが、予備校で知り合った女性との間に子供ができ、大学受験は断念する。
昭和57年(1982年)には無許可の医薬品を販売。告発され薬事法違反で逮捕、20万円の罰金刑を受ける。
昭和58年(1983年)、28歳のとき、東京都渋谷区に学習塾「鳳凰慶林館」を開設。ヨーガや東洋医学などを統合した(超)能力開発の指導を行うというもの。この頃から「麻原彰晃」と名乗り始める。
翌年には、学習塾「鳳凰慶林館」をヨガ道場「オウムの会」に変更。
昭和60年(1985年)秋、麻原が空中浮揚したとする写真が雑誌『ムー』に掲載されると、彼の知名度は一気にあがる。
昭和61年(1986年)、宗教団体に税制上の優遇措置があることを知り、ヨガ道場「オウムの会」を宗教団体「オウム神仙の会」へと改称。
昭和62年(1987年)7月、大半の信者の意向を押し切り、「オウム神仙の会」を「オウム真理教」に改称。布教活動を本格化する。この頃から、麻原はテレビにでるようになる。
昭和63年(1988年)9月22日、オウム真理教在家信者死亡事件が発生する。教団関連で初めて死者がでた事件。
静岡県富士宮市の富士山総本部道場で、在家男性信者が修行中に突如大声をあげて暴れだした。原因は不明。
麻原は弟子に命令し、男性信者を風呂場に連れて行かせ、逆さにし浴槽の水につけるなどした。男性信者は意識を失い、死亡した。
当時、教団は東京都に宗教法人認可の手続きを行っており、事件が発覚すれば申請が取り消されるのは確実。
麻原らは男性信者の死体を焼却して粉々に砕き、精進湖へ遺棄した。
この事件以降、オウム真理教は様々な犯罪事件に手を染めることとなる。以降、教団が行った主な殺人事件は以下のとおり。
オウム真理教が初めて殺人事件を起こした時、対処することができていれば、被害者がこんなに多くでることはなかった。
いや、盲学校時代の麻原に対し、学校側が毅然とした態度をとっていたら、未来は変わっていたかもしれない。
犯罪は早期に対処しなければ、取り返しのつかない事態を招く。
そして、それは犯罪者のためでもある。