今日は、吹田事件(すいたじけん)が起きた日だ。
昭和27年(1952年)6月24日から翌25日にかけ、大阪府吹田市やその周辺で、学生や労働者、在日朝鮮人らが起こした暴動事件。
200人超が逮捕され、46人が有罪となった。しかし、騒乱罪は成立しなかった。
吹田事件を扱った記事、時事世界(昭和27年8月号)より
当時は朝鮮戦争中で、米軍は日本を兵站基地にして参戦していた。
北朝鮮系の在日朝鮮人は北朝鮮を支援すべく、日本各地で反米・反戦運動を起こしていた。日本共産党もこれに同調。
昭和27年(1952年)6月24日夜、大阪府豊中市の大阪大学豊中キャンパスでは、大阪府学生自治会連合が主催する「伊丹基地粉砕、反戦・独立の夕」が開催された。集会には、学生や労働者、在日朝鮮人などが参加していた。
集会終了後から翌朝にかけ、集会参加者約900人が吹田市まで「戦争反対」「軍需物資輸送反対」のデモ行進を行った。
デモの途中、一部が暴徒化。
警察官や派出所、米軍人の車などに、火災びんや石を投げつけたりした。
在大津南西司令官カーター・W・クラーク陸軍准将は顔に全治2週間の傷を負った。警官にも、火傷や打撲傷を負う者がでた。
また、石橋駅の駅長に対して臨時列車の発車を強要。すでに最終電車の発車後だったが、駅長はやむを得ず電車を発車させた。
翌25日午後8時過ぎ、吹田駅でデモ隊と警察が衝突した。ホームは大混乱となり、一般乗車客にも負傷者がでた。
警察はデモ参加者200人超を逮捕した。
火炎瓶攻撃で負傷した警察官、朝日新聞社「朝日クロニクル 20世紀 第5巻」より
大阪地検はデモ参加者111人を起訴。威力業務妨害罪で46人が有罪(懲役または罰金)となった。
大阪地検は事件を日本共産党の軍事行動計画だとし、騒乱罪も主張したが、証拠不十分で不成立となった。
米軍基地反対運動をやっている連中の思考は、当時から変わっていない。自己中心的であり、かつ、暴力的である。
国民はこの事実を知る必要がある。マスコミがもう少し報道してくれれば...