中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法、通称「香港国家安全法」の施行から1年を迎えた。
この間、支那政府(支那共産党)や香港政府に対する批判は厳しく抑え込まれた。
香港国家安全法の概要
香港の夜景、出典:Wikipedia
平成9年(1997年)7月1日、香港は英国から支那に移譲(返還)された。
支那政府は以降50年間、香港の民主主義や言論の自由、報道の自由などを認めるという約束になっていた。
しかし...
平成26年(2014年)、支那政府はこの約束を「今は無効だ」と英国側に伝えた。
平成26年、香港人は民主的な選挙を求める『雨傘運動』を展開する。
香港トップの行政長官は、1200人の代表による間接選挙で選ばれていたが、これを香港人が直接選べるように要求した。
雨傘運動は香港警察などにより強制的に排除された。
平成31年(2019年)3月、香港政府は「逃亡犯条例改正案」を議会に提出した。支那本土で犯罪の疑いをかけられた人を、支那に引き渡すことができるというものである。
これに対して、「罪をでっちあげられるんじゃないか?」と多くの香港人が疑心暗鬼になった。
6月16日には、香港史上最大となる200万人規模のデモ(主催者発表)が実施された。
その後も大規模なデモが頻発した。
令和2年(2020年)6月30日、全人代で香港国家安全法が成立し、即日施行された。
翌7月1日、香港警察は抗議デモをしていた300人以上を逮捕した。うち、9人が香港国家安全法違反。
前年の逃亡犯条例改正案以降、香港では大規模なデモが頻発していたが、これを機に行われなくなっていった。
現在の香港では、支那共産党に批判的な行動をすれば逮捕される可能性がある。
また、特定の言葉を言ったり、特定の旗を振ったりしても、国家分裂や国家政権転覆を図ったとして取り締まりの対象となる。
令和3年(2021年)6月には、支那共産党に批判的な香港紙・蘋果日報(ひんかにっぽう)の資産を凍結。複数の関係者も逮捕。
蘋果日報は6月24日朝刊を最後に、新聞の発効を停止した。
香港で支那共産党やその手先となってしまった香港政府がやっていることは、本物の弾圧である。
「独裁者は自らを批判する者を許さない」という実例だ。
そして...
香港で起きていることは、日本と関係ないとは言えない。「もしかしたら、日本でも同様のことが起きるかもしれない」と筆者は危惧している。