今回の記事は、筆者が数日前に訪問した団地についてである。
この団地は昭和40年代後半に作られたもので、1000戸ほどが入居可能だ。しかし、最近では空き部屋が目立つという。
団地の駐車場にあった看板
筆者は仕事のため、この団地に車で行ったのだが、最初に目に飛び込んできたのは多言語表示の看板だった。
看板は比較的新しく、日本語、ポルトガル語、支那語(中国語)、英語の4か国語による多言語表示だった。
駐車場から目的のお宅に向かう途中、多言語表示の看板は他にも見られた。
古い看板には、日本語とポルトガル語の二言語表示のものや、日本語のみ、ポルトガル語のみのものもあった。
それ以上にショッキングだったのは、この団地の公園で遊んでいる子供たちが、全員外国人だったことである。国籍の断定は見た目ではできないので、厳密には「見た目が全員外国人」が正しい。
この地域はブラジル人が多いため外国人の子供は珍しくないのだが、出会った子供10人弱のなかに、見た目が日本人の子供はいなかった。
目的のお宅に着くと、年輩のご夫婦が出迎えてくれた。
筆者は早速仕事に取り掛かった。
仕事は1時間弱で終わり、帰ろうとしたらお茶を勧められた。時間的余裕もあったため、筆者は頂くことにした。そして、この団地について、お話を聞いた。
団地にあった看板、かなり古いと思われる
ご夫婦はこの団地に、40年以上暮らしているという。
入居当時の住人は日本人ばかりだったが、しばらくするとブラジル人も入居するようになった。甲板や回覧板などは、日本語とポルトガル語の二か国語表示に変わった。
ブラジル人たちは入居直後、夜中に集団で騒ぐことがあった。しかし、直ぐに日本の習慣に馴染み、大きなトラブルは起こさなかった。
団地では、日本語とポルトガル語の二か国語表示の状態が続いていた。
正確な時期は覚えていないが恐らく20年ほど前、三か国語表示の看板が現れたという。
理由はペルー人の入居が始まったからである。ブラジル人とペルー人を見分けのは難しいため、ご夫婦は全く気付かなかった。
ただ、最近ではペルー人は減ってきている。
数年前から、団地の看板や管理組合から配布される書類などは、4か国語もしくは5か国語表示になった。
日本語、ポルトガル語、支那語(中国語)、英語の4か国語に加え、スペイン語は入っている場合といない場合があるという。
現在、団地の住人の半数ほどは外国人とみられる。日本人に見えても、実は外国人という人も多いため、正確な数は不明。
ただ、日本人は高齢者ばかりで、若い人はほぼ外国人という状態である。
ご夫婦は保守的な政治思想である。多言語表示、特に、支那語が入っていることに不安を感じているという。
団地に住む日本人で、ご夫婦と同様のことを思っている人は多い。ただ、言えない雰囲気があるという。
この団地のある市や県は、市長や知事が積極的に「多文化共生」を進めている。
多文化共生を主張しているメンバーは、家族と共に、外国人ばかりの地域で一度暮らしていみるといい。
多文化共生は理想ではあるが、現実には難しい。各国の事例を見れば、わかる。