素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2681年7月23日

支那共産党の結成から、今日でちょうど100年が経った。

 

大正10年(1921年)7月23日、李漢俊の上海の自宅に党員12人(13人の説あり)が集まり第1回党大会を開催し、支那共産党は結成された。

創立時の党員は57人とされているが、根拠となるものはない。

なお、支那共産党が結成日を7月1日としているのは、毛沢東が第1回党大会が行われた日を忘れたからと言われている。

 

支那共産党コミンテルン(国際共産主義組織)の主導により、支那大陸に結成された組織である。

ちなみに、コミンテルンの主導で日本に結成された組織が「日本共産党」だ。

 

f:id:newspaper-ama:20210723060300j:plain

中華人民共和国建国を宣言する毛沢東、出典:新闻搜索

 

当時の支那大陸は「中華民国」という国だった。ここで権力を持っていたのが国民党である。

支那共産党は結成当初、国民党と上手くやっていた。しかし、しばらくすると、両者の関係は悪化し戦闘状態となる。

国民党の圧倒的な戦力の前に、支那共産党は壊滅寸前にまで追い込まれる。このタイミングで、日本と中華民国が戦闘状態に入ったため、両者は停戦。支那共産党は命拾いする。

 

昭和20年(1945年)に日本との戦争が終わると、両者の関係は再び悪化し、戦闘状態となる。

国民党は日本との戦いにより、相当の戦力を消耗していた。一方、支那共産党は日本との戦いは避け、戦力を増強していた。

支那共産党はこの戦いに勝利し、国民党を支那大陸から追い出すことに成功。国民党は台湾へと逃げていった。

昭和24年(1949年)10月1日、支那共産党により中華人民共和国が建国される。毛沢東北京市天安門広場で建国宣言を行った。

 

中華人民共和国建国後も、支那共産党大躍進政策文化大革命などにより、何度か危機を迎えるが乗り越えた。

昭和54年(1979年)、中華人民共和国は米国と国交を開始する。これを機に、中華人民共和国は経済的に発展していく。

平成元年(1989年)、六四天安門事件により中華人民共和国は国際的に窮地に追い込まれるが、日本などの手助けにより、何とか危機を脱する。

そして、現在では世界2位の大国にまで上り詰める。

 

f:id:newspaper-ama:20201224101251j:plain

中華人民共和国に対して融和策をとった宇野宗佑総理、原典:官邸

 

支那共産党結成から今日で100年。今では強大な力を持つモンスターとなってしまった。

そして、日本は支那共産党中華人民共和国)の発展に大きく貢献してしまった。

マキャベリは著書『君主論』の中で「隣国を援助する国は滅びる」と言っている。日本がそうならない事を祈るばかりだ。