素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

タリバン、アフガニスタンの半分以上を支配下に

アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンは11日までに、アフガニスタンにある34州のうち、9州都の制圧を宣言した。

タリバンは少なくとも、アフガニスタンの半分以上を支配下においたとみられる。

 

米軍は8月末、アフガニスタンから完全撤退する。これに合わせ、タリバンは各地で攻勢を強め、支配地域を急拡大した。

タリバンは今月6日、南西部ニームルーズ州の州都ザランジを初制圧した。その後、北部を中心に次々と州都を制圧。

11日には、支那と国境を接する北東部バダフシャーン州の州都ファイザーバードを制圧した。タリバンが制圧した州都は9となった。

情報元:2 more provinces taken oven – Islamic Emirate of Afghanistan

 

連合国(国連)人権高等弁務官事務所によると、7月9日から8月10日までに、少なくとも187人の市民が戦闘に巻き込まれ死亡したという。けが人は1100人超。

 

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タリバンが州都を制圧したとみられる州、作成:素人が新聞記事書いてみた

 

タリバンは1994年、イスラム教の最大宗派・スンニ派の学生を中心に結成された武装組織。

1996年に政権奪取に成功。「アフガニスタン・イスラム首長国」建国を宣言し、首都をカンダハールに移した。女性には就労禁止、男性にはヒゲを生やすなど、厳格なイスラム統治を強いた。

同国は過激な全体主義であるため、国際的には承認されなかった。

 

2001年に米国同時多発テロ事件が発生すると、米国はこのテロの容疑者としてアルカイダの指導者ウサマ・ビン・ラディンらの引き渡しを要求。

しかし、タリバン政権がこれを拒否したため、米国などからの攻撃を受け、政権は崩壊した。

タリバンは支配地域の大半を失ったが、ほとんどの幹部は生き延びた。そして、アフガニスタン南部やパキスタンで徐々に勢力を回復させていった。

 

2008年にはボランティアで働いていた日本人を拉致、殺害した。

タリバン側は、たとえ復興支援が目的であっても、米国に協力してアフガニスタンを訪れる外国人はすべて敵とした。

 

2020年2月、タリバンは米国との和平に合意した。米国は今年5月1日までに、アフガニスタンから完全撤退することを約束した。

同年9月、タリバンアフガニスタン政府との停戦に向けた協議を開始したが、交渉は停滞し現在に至る。

 

今年になってからは支那と急接近。7月にはタリバンの代表団が支那を訪問し、王毅外交部長(外務大臣)と会談した。

8月になると米軍撤退にあわせ、次々と州都を制圧し、現在勢力を急速に大している。

 

米軍が撤退すると、国内の反政府組織が勢力を拡大したり、外国勢力が入っているというケースは多い。

日本も他人事ではない。