今日は、愛宕山事件(あたごやまじけん)が起きた日だ。
昭和20(1945)年8月22日、終戦に反対して愛宕山に篭城していた右翼団体「尊攘同志会」の会員らが手榴弾で自決を図った。
10人が死亡し、後日に2人が後追い自殺した。
愛宕山は東京都港区愛宕にある丘陵。標高は25.7mで、天然の山としては東京23区内で最高峰。
現在の愛宕山(中央はNHK放送博物館)、出典:Wikipedia
昭和20年(1945年)8月15日正午、玉音放送により、ポツダム宣言受諾(日本の降伏)が国民に伝えられた。
すると、右翼団体「尊攘同志会」の飯島与志雄らは拳銃や手榴弾などで武装。
15日未明には木戸幸一内大臣邸を、16日には木戸の実弟宅を襲ったが、いずれも失敗。愛宕山に篭城した。飯島らは抗戦派軍人の決起を期待した。
警視庁は約70名の警官隊を動員し、愛宕山を包囲し投降を呼びかけた。しかし、飯島ら12人は立て篭りを続けた。
22日午後6時頃、警官隊が発砲し突入。追いつめられた飯島らは「天皇陛下万歳」と叫び手榴弾で自決を図った。10人が死亡し、2人が捕まった。
愛宕山に籠城した12人
- 飯島与志雄(35)
- 稲垣弘太郎(30)
- 和栗和英(19)
- 川口善一(33)
- 谷川仁(32)
- 稲村浩(18)
- 皆川貞次郎(22)
- 茂呂宣八(32)
- 妻・かよ子(29)
- 関本貞次郎(35)
- 摺建富士夫(29)
- 妻・静子(27)
妻2人は捕まったが、後日、事件現場で自決した。
筆者は保守思想だが、事件を起こした「尊攘同志会」の会員らには賛同できない。理由は2つ。
一つは、昭和天皇の詔(みことのり)に反するから。もう一つは、犯罪だから。
昭和天皇は「終戦の詔書」で、祖国の復興に尽力してほしいと仰せになられた。踏むべき人の道を外してはいけないとも。
日本人なら、詔には従うべきである。
愛宕山事件で命を落としたのは、10代から30代の若者たちである。祖国復興のために、その覚悟を使ってくれたら...
愛宕山事件については、保守でも見解がわかれるだろう。
皆さんは、どう思う?