素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2681年11月14日

今日は渋谷暴動事件が起きた日だ。

昭和46年(1971年)11月14日に東京都渋谷区で、中核派が起こした殺人・暴動事件。

暴動鎮圧にあたっていた機動隊員1名が、火炎瓶による攻撃を受け殉職した。

 

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中核派の公然拠点「前進社」、出典:Wikipedia

 

中核派とは、日本の新左翼日本共産党と旧日本社会党以外の左翼)の一つ。正式名称は「革命的共産主義者同盟全国委員会」という。

何度も暴動事件を起こしており、死者がでた事件もあった。

中核派は「反帝国主義反スターリン主義」を基本理念としている。彼らは保守だけでなく、日本共産党などの左翼も敵としている。

 

昭和46年(1971年)11月、佐藤栄作内閣は国会で沖縄返還協定批准の審議を行っていた。

これに日本共産党日本社会党社民党)、中核派などの新左翼が反発。米軍が駐留を続けることになっているとし、沖縄返還反対運動を起こしていた。

 

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代々木八幡駅から渋谷駅方面へ向かう中核派メンバー、原典:警察庁

 

中核派は渋谷宮下公園で「11・14 全国総結集・東京大暴動闘争」と称する集会を計画していた。

中核派全学連委員長は「火炎ビン、鉄パイプはもちろん、爆弾などあらゆる武器を使い、首都に内乱暴動を巻き起こせ。権力の手先である機動隊は徹底的にせん滅せよ」と演説。

中核派の機関紙『前進』も、「渋谷に大暴動を」と武装蜂起を煽動していた。

 

14日午後2時過ぎ、中核派メンバーの一部が上北沢駅前交番(世田谷区)、井の頭線神泉駅(渋谷区)に火炎瓶を投げ込んだ。

午後3時頃には、メンバーの多くが渋谷駅周辺に集結。本格的な暴動を始めた。

 

神山派出所(渋谷区神山町)周辺では、機動隊の小隊(新潟中央警察署)27人が警備に当たっていた。

中核派メンバー約150人はこの小隊に対して、一斉に火炎瓶を投げた。

襲撃を受けた小隊では、隊員が火だるまになり転げまわった。この攻撃では、直ぐに消火活動をしたため死者はでなかった。

 

小隊は一時撤退を決めた。

仲間の隊員を守るため、2人の隊員が最後尾に留まった。この2人が中核派メンバーの標的となった。

1人はガス弾を撃った後、上手く脇道から逃れることができた。

もう1人は中核派メンバーに取り囲まれ、鉄パイプで乱打されて失神した。その後、中核派メンバーは失神している隊員の肩口から油を注ぎ、持っていた火炎瓶を隊員の頭に投げつけた。

隊員からは大きな火柱(目的者の証言では5mほど)が上がり、隊員は黒焦げとなって死亡した。顔の識別ができないほどの火傷を負い、体の一部は炭化していた。

 

警視庁は渋谷地区で309人を現行犯逮捕した。

また、隊員の殺人事件に関与したとして42人を検挙した。

 

中核派が起こした殺人事件や暴動事件は、この渋谷暴動事件以外にもある。

そして、中核派のような組織は、現在でも日本に複数存在している。

この事実を国民の多くは知らない。