素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2681年12月22日

20年前の今日は、九州南西海域工作船事件が発生した日だ。

平成13年(2001年)12月22日に東シナ海奄美大島沖で、北朝鮮工作船海上保安庁の巡視船と交戦の末に自爆、沈没した。

工作船に乗船していた15人全員が死亡した。海上保安庁側も3人が負傷し、巡視船1隻が損傷した。

 

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逃走する北朝鮮工作船海上保安庁提供

 

平成13年(2001年)12月18日頃、在日米軍から不審船に関する情報が防衛庁に提供された。

12月19日、喜界島通信所が不審な通信電波を捕捉。海上自衛隊が喜界島(鹿児島県)周辺海域の哨戒を始めた。

 

12月21日16時32分、鹿屋航空基地所属の哨戒機「P-3C」が、東シナ海の九州南西海域(奄美大島の北北西150キロ)で不審船を発見した。見た目は漁船のようで、船体には「長漁3705」と記されていた。(上の写真の船)

 

防衛庁は哨戒機が撮影した画像を解析した結果、「北朝鮮工作船の可能性が高い」と判断した。

翌12月22日1時、防衛庁長官に分析結果が報告された。

1時10分、海上保安庁防衛庁から不審船情報をうけ、直ちに航空機や巡視船を現地に向かわせた。

 

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威嚇のための船体射撃により炎上する北朝鮮工作船海上保安庁提供

 

6j時20分、海上保安庁の航空機が奄美大島から約240キロの海上で、北朝鮮工作船を確認し追尾を開始した。

12時48分、巡視船「いなさ」が現場に到着。

13時12分より、巡視船「いなさ」と航空機により、繰り返し停船命令を実施したが、北朝鮮工作船はこれに応じず、蛇行しながら逃走した。

14時22分より、巡視船「いなさ」が射撃警告を開始したが、それでも北朝鮮工作船は停船しなかった。

16時13分、巡視船「いなさ」が20ミリ機関砲による威嚇のための船体射撃を実施した。同58分には視船「みずき」も実施。

 

17時24分、北朝鮮工作船から出火(上記写真)。しかし、30分ほどすると火災は鎮火し、北朝鮮工作船は再び逃走を開始した。

その後も威嚇のための船体射撃を実施したが、北朝鮮工作船は逃走を続けた。

 

22時、海上保安庁北朝鮮工作船への突入を試みた。巡視船「あまみ」と「きりしま」で挟撃(接舷)し、臨検要員が乗り移ろうとした。

すると、北朝鮮工作船の船員が機関銃または小銃により、海上保安官や巡視船に対して銃撃を開始した。

巡視船は全速力で退避。銃撃戦となった。

北朝鮮工作船からは、対戦車擲弾発射器「RPG-7」によりロケット弾2発が発射されたが、命中はしなかった。

 

22時13分、北朝鮮工作船は銃撃中に突如爆発。炎上して沈没した。

沈没の直前、北朝鮮工作船からは北朝鮮本国に「党よ、この子は永遠にあなたの忠臣になろう」「マンセー」とのメッセージを含んだ電波が発信されていた。

 

北朝鮮工作船に乗船していた15人全員が死亡した。

海上保安庁側も海上保安官3人が、約7~10日間の入院・加療を要する傷害を負った。また、巡視船「あまみ」が損傷した。

 

沈没した北朝鮮工作船からは、小銃や機関銃、ロケットランチャー、地対空ミサイルなどの武器が発見された。

加えて、暴力団関係者と数百回の通話記録のある携帯電話も発見された。

 

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マスコミは当時、北朝鮮工作船のことを「不審船」と言っていた。

朝日新聞は平成14年(2002年)1月6日の一面コラム・天声人語で「明らかに風邪と思われる症状が多数出ていても風邪と断定できないように、沈没したのは『不審船』と断定はできない」と、北朝鮮擁護とも取れる内容を掲載した。

 

当時、国民の多くが「マスコミは変なことを言っている」と疑わなかった。

20年が過ぎ、少しは状況が変わってきたように思える。