日本で生活をしていると、政治に関心をもつことは少ない。
日本で行われる選挙の投票率は、国政選挙で5割強。地方選挙では、3割を切ることすらある。
民主主義・選挙支援国際研究所が算出する「世界の議会選挙投票率」では、令和3年の時点で、日本の順位は194ヵ国(地域)中139位となっている。
しかし、日本で生活をしていても、政治に興味をもつようになる人もいる。
そうなったキッカケとして、右派(保守)は「インターネットの動画をみて」というのが近年では多い。
一方、左派(革新)は昔と同様、人からの紹介が多いように感じる。
右派であれ左派であれ、政治に興味をもった人のほとんどは、直ぐに「政治は、自分達の思い通りにはいかない」という厳しい現実を知ることになる。
これは当然のことである。
なぜなら、民主主義は政治に満足できない仕組みだからだ。
民主主義において、権力は国民が握っている。そして、国民の代表者を決めるのが選挙という訳だ。
右派と左派では政治思想が全く違う。意見が対立した場合、どうする?
通常は「妥協点」を探ることになる。この妥協点は、右派が多ければ右派の意見に近くなり、左派が多ければ左派の意見に近くなる。
全て右派の思い通りになることも、その逆も、あり得ないのだ。
政治に興味を持って間もない人は、「なぜ、自分達の思い通りにならない」と落胆する。
その結果、①先鋭化し過激思想になる人、②再び政治に興味をなくす人、③現実を受け入れる人、に大別される。
右派・左派に関係なく、国や社会に害を及ぼすのは①である。
彼らは法律や社会規範より、自らの正義を優先するからだ。しかも、本人は「正義」のためにやっていると妄信しているから、厄介である。
①も時間が経てば、②や③へと変わる場合が多い。これを可能にするのが「民度」である。
昔の政治は命懸けだった。
政敵だけでなく、その一族もろとも滅ぼすことが、世界各地で行われていた。現在でも同様のことをしている国が、ごく一部あるが。
その代わり、自分達がやりたい政策は、民主主義より出来た。
民主主義とは、政治には満足できない仕組みであると同時に、政治に参加してもリスクが少ない仕組みなのだ。
もちろん、リスクが無いとは言わない。しかし、命まで取られることは滅多にない。
日本では、18歳以上の国民に投票権がある。
昔の人から見れば、これは羨ましいことだ...と筆者は思う。