2月7日は『北方領土の日』だ。
北方領土返還要求運動の全国的な盛り上がりを図るために設定された。
北方領土は現在、ロシアが不法占拠している。
北方領土とは、北海道本島の北東に位置する歯舞群島(はぼまいぐんとう)、色丹島(しこたんとう)、国後島(くなしりとう)、択捉島(えとろふとう)の四島。正確には、歯舞群島は島々。
総面積は 5,003km2 で、愛知県や千葉県とほぼ同等。
日露和親条約に基づく国境線
1855年2月7日(旧暦:安政2年12月21日)、日本とロシア帝国の間で「日露和親条約」が締結された。
択捉島とウルップ島との間に国境線がひかれた。樺太においては、国境線はひかれなかった。
なお、『北方領土の日』が2月7日となったのは、この条約締結に由来する。
樺太・千島交換条約に基づく国境線
明治8年(1875年)、日本とロシア帝国との間で「樺太・千島交換条約」署名・発効された。
日本は樺太(サハリン)全島における権利と引き替えに、千島列島にかかる権利をロシア帝国から譲り受けた。
ポーツマス条約に基づく国境線
明治37年(1904年)2月から翌年9月にかけて、日本とロシア帝国との間で「日露戦争」が行われた。
結果は日本が勝利。
明治38年(1905年)9月5日、両国間の平和条約「ポーツマス条約」が締結された。
樺太(サハリン)の北緯50度以南は、日本の領土となった。
ソ連軍の侵攻図
昭和20年(1945年)8月9日、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)は、 当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦。
同年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾して降伏の意思を示した。
しかし、ソ連は攻撃と続け、8月28日から9月5日までの間に北方四島を占領した。
昭和26年(1951年)9月、第二次世界大戦で戦った連合国諸国と日本の平和条約「サンフランシスコ講和条約」が調印された。
日本は南樺太(南サハリン)と千島列島の権益を放棄した。
この千島列島の解釈が、日本とロシア連邦(ロシア)では異なる。日本は北方四島を含めないとし、ロシアは含めるとしている。
なお、ソ連は「サンフランシスコ講和条約」に署名しなかった。
日本とソ連(ロシア)との間で、北方領土問題が解決できそうな機会が2度ほどあった。
最初は、昭和31年(1956年)の「日ソ共同宣言」の時。ソ連は歯舞諸島と色丹島を日本に「善意に基づき譲渡する」とした。ソ連としては大きな譲歩だったが、日本が米国と「新日米同盟」を締結したため、ソ連は態度を硬化させた。
2回目は、ソ連が崩壊した平成3年(1991年)前後。ソ連は態度を軟化していたし、国内も混乱していた。
ロシアから北方領土を取り戻すのは、並大抵のことではない。
しかし、諦めなければチャンスは巡ってくる...と筆者は思う。