2月11日は『建国記念の日』だ。
建国をしのび、国を愛する心を養う日だ。
戦前の『紀元節(きげんせつ)』にあたる。
明治6年(1873年)、日本政府は2月11日を『紀元節(きげんせつ)』とした(明治6年太政官布告第344号)。
2月11日としたのは、『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日に由来する。
「辛酉年春正月」というのが神武天皇の即位日で、西暦(グレゴリオ暦)にすると紀元前660年2月11日となる。
当時、日本では明治維新が行われており(直後との見解もあり)、欧米列強に追いつくため、近代化を推し進めていた。
欧米列強には、独立記念日や革命記念日など、国の成り立ちをお祝いする日が設けられていた。
日本もこれに倣い、建国を祝うための祝祭日として紀元節を制定した。
紀元節は昭和23年(1948年)、GHQの意向で廃止となった。
その後しばらくの間、日本には建国を祝う日は無かったが、保守層を中心に紀元節を復活させようという動きが高ってきた。
「建国記念日」を設置するための法案は、自民党により9回も提出されたが、社会党(現:社民党)や共産党らの反対により全て廃案となった。
昭和38年(1963年)には法案を強行採決しようとした衆議院内閣委員会の永山忠則委員長が、社会党議員らから暴行を受け、入院する事件も起きた。
昭和41年(1966年)、自民党は「建国記念の日」という「の」を挿入した法案を提出。「建国されたという事象そのものを記念する日」とも解釈できる。
これに社会党は妥協し、同年6月25日に法案は成立。翌昭和42年(1967年)より適用となった。
日本は世界最古の国である。
長い歴史の中には大きな困難が何回も訪れたが、その度に、先人たちは乗り越えてきた。その努力は想像を絶するものだっただろう。
先人たちの努力に感謝しつつ、「日本」を少しでも良い状態で次世代に渡したい...と筆者は今思っている。